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数術家加藤兼安の碑

更新日: ページ番号:000800
数術家加藤兼安の碑
  • 町指定史跡
  • 平成3年5月16日指定
  • 所在地 横瀬町大字横瀬5044番地1
  • 所有者 個人

この寿碑は嘉永元年(1848)に建てられ、大野玄鶴(大野原生れ医師、秩父志の著者)の撰文並びに書による。

算学者加藤兼安(1786~1857)は、川西地区三角に生まれ、名を治兵衛といい、天保から嘉永年間にわたり数術を広め、門弟実に1,000名を超えた。また、指導する傍ら「知慧車」と題する書を著しているが、現在確認されていない。また町内には、大越数道軒等数名の算学者を挙げることができるが、いずれの系統も異にする。