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よこぜの伝説

横瀬には多くの伝説が残っています。代表的なものをご紹介しましょう。

武甲山の話

むかしむかし、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征されたおり、雁坂峠の頂上から秩父の山並みを眺め、武人のように堂々とそびえ立つ山の名をたずねま した。里人はその名を「秩父が嶽(たけ)」と答えました。すると日本武尊はさっそくその山に登り、天の神・地の神をまつられたのです。そしてその時、着用 していたご自分の甲(かぶと)を岩室(いわむろ)に納めたので、その後この山を「武甲山(ぶこうさん)」と呼ぶようになりました。横瀬町のシンボル武甲山 の名はこうして付けられたのです。

二子山のお話

むかしむかしダイダラ坊という大男の神様がいました。なにしろ、山をつくったり、川や池をつくったりする神様だから体も大きいのです。ある日、このダイダ ラ坊が秩父に山をつくるため、大きなモッコに土を盛り、天びんで担いでやって来ました。ところが芦ケ久保まで来た時、窪地に足をとられ、モッコの土をこぼ してしまったのです。ちょうど同じくらいの量の土をこぼしたので、同じような形の山が2つできてしまいました。それが今、二子山(ふたごやま)と呼んでい る山です。そしてダイダラ坊が足を突っ込んだ窪地が「足窪」つまり今の「芦ケ久保」という地名の由来なのです。なんだか落語のオチみたいな伝説ですね。

「松藤絶えろ」のお話

むかしむかし、武甲山に山姥(やまんば)が住んでいましたが、おそろしい神通力を持っていて、悪さをしては、里人を困らせていました。ある時、村を通りかかった行基がこの話を聞き、武甲山の頂上で17日間の祈祷を行いました。すると、神通力を失った山姥が行基の前に姿を現したのです。行基がすかさず山姥を「松」の木に「藤」のつるで縛りつけると、山姥は悪行を悔い、お詫びのしるしに自分の歯を抜いて行基に渡しました。しかしよほど悔しかったのでしょう。おもわず「松藤絶えろ」と怒鳴ったので、それから武甲山に「松」と「藤」は生えなくなったのです。最近は東京の渋谷に山姥が出没すると聞きます。

丸山の長者のお話

むかしむかし、芦ケ久保の丸山に長者がいました。屋敷の広い庭から、目の下に広がる田畑を眺めては「見えるかぎりの田も畑も山も、みんなわしのものだ」といばっていました。姿原の広い田んぼは、その年も米が豊作です。長者は百姓に言いつけ稲を刈らせ、屋敷へ運ばせましたが、しだいに太陽が西の山に沈みかけたのです。長者はあわてて「夕日よ、もどれもどれ」と手にした扇であおぎました。すると刈り取られ山のようになった稲の束は、たちまち大きな岩になったのです。人々はこの岩を「いなむら石」と呼んでいます。「天に唾する」という格言がありますが、それに近い意味を含んでいるのでしょうか。